忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

失礼な人が増える理由。

教育の失敗 ~理念先行型の教育は上手くいかない

例えば「『子どもがうるさい』と言ってはいけない」「なぜなら、子どもは『自然の生き物』だから」などといった、いわゆる理念先行型の教育は失敗します。

そもそも、「子どもが自然の生き物」とは、本質としてもまったく意味不明です。

子どもがうるさいなら、その場できちんと「うるせえぞ」と叱るべきです。

これは、「他者がいて自分がいる」というコミュニケーションのいちばん典型的なものです。

「自分は楽しく遊んでいたが、それをうるさいと思っている大人がいるんだ」と知ること。

これが教育の本質であり、成長ということです。

なのに、「子どもがうるさいのは当たり前」としてしまえば、うるさいのに放置することになり、「大人に怒られないから、いくらでもうるさくして良い」「毎日、思い切り叫んで良い」などと、限度を弁えること無く考えるわけです。

子どもに向かって、うるさいときにしっかりと「うるせえぞ」と叱ることは、教育において、とても大切な行為です。

 

「いただき女子」がなぜ発生するか

ツイフェミが際限なくうるさかったり、偉い人たちの集合写真へ「おっさんの詰め合わせ」と発言してしまったりするのも、これとまったく同じ現象です。

女児が見ず知らずの中高年の男性に向かって、「おじさん」と言ったら叱るべきなのですが、こういうことを大人からされなかった子どもが急増しているのです。

一般に、「おじさん」「おばさん」と赤の他人に言うのは、とても失礼な行為です。

もし、それが失礼だと知らなかったら、その場で叱って意味を教えるべきだし、失礼と分かっていて発言したのなら、なおさらちゃんと厳しく叱らないと、ずっとその失礼な行為が正しいものと勘違いし続けたまま、大人になります。

すると、他人に向かって、平気で失礼な発言をする大人になってしまいます。

「何が失礼か知らない」という状態が、大人になっても放置されてしまうと、「いただき女子」のように悪意なく他人を陥れたり、例の炎上した女性芸人のように悪意なく失礼行為をしてしまうのです。

かわいそうですが、彼女たちは「叱らない教育」の被害者なのです。

 

残念ながら、殴られないとわからない子もいる

私は子どもを殴る教育、いわゆる体罰教育に賛成です。

というのも、言ってもわからない子どもは、きちんと殴らないとわからないです。

そして、こういう子どもは実際に一定数います。

だからといって、戸塚ヨットスクールみたいなものはやりすぎですが、「全員ではないにせよ、体罰が必要な子は確実にいる」のは事実です。

当時、戸塚ヨットスクールを支持した人たちの気持ちはわかりますが、子どもが死ぬまで追い詰めるというのはダメでしょう。

とはいえ、戦前は親がしつけをする過程で、子どもを殴りすぎてうっかり死んでしまったケースはいくらでもありますので、時代が違えば正しかったとなるとは思います。