「失敗を笑う人は成功しない」は脅迫。
最近のSNSでは、「失敗を笑うな」という言葉が脅迫のように出回っています。
たとえば、ロケット打ち上げ失敗で、「失敗じゃねえ!」みたいにいい歳こいた大人が目くじらを立てて怒り散らすわけです。
しかし、当然ですが、義憤に駆られて怒っている人を見ていて愉快なわけはありません。
それどころか、「失敗するということは行動したということだ」「何もして内で批判ばかりしているやつこそ人生の失敗だ」みたいに言ってカッコつけてる大人を見るたびに、「こいつどこまでもクソだせえな」と思う限りです。
これはなぜかと言うと、失敗したことに対して余裕がないからです。
TPOあるが「失敗を笑うべきではない」は文化的ではない
もちろん、一生懸命やったことを無下にする態度はいかがなものかという話はわかります。
しかし、その上であまりに余裕がないリアクションというのは、伸びしろがないことを認めているようなもので、こういうやつに期待はできないわけです。
倫理観として「笑うのは良くない」という理屈はわかりますが、かといって、いちいち失敗したことを笑われたことに根に持っているようなやつが。成功するとは思えませんよね。
たとえば、目の前にいる赤ちゃんが歩こうと懸命に頑張ってコケたとします。
多分、赤ちゃんは泣き出すでしょうが、大人はニコッと笑うでしょう。
この微笑ましい光景を、「赤ちゃんが一生懸命歩行練習しているのを嘲笑っている!」とか怒る人たちって、やはりどうかしています。
「俺は格闘技やってて、凄い人に習ってるんだよ」と言っていた50代が、ノソノソとトロ臭いパンチを披露していても、そりゃ「お前何息巻いてたんだよ!」と笑われるわけですよね。
それに何度も同じような失敗をしていれば、人は笑うのではなく「何度同じことを繰り返しているんだ!」と怒るわけです。
つまり、「笑う」ということは、他人に受け入れられている(「それは分かるよ」)というサインなのです。
こういう基本的なことがわからない人は、人として欠けている(人の心情に対する理解不足)と思ったほうが良いです。
ただ、私は聖人君子な人間でないので、自業自得的な人の失敗については、そいつを受け入れていようがいまいが笑います。
自分でしょうもない墓穴を掘って転がってるやつを、面白いと思うのは当然でしょうし、それを他人が笑うなというのはおかしな話です。
「過去の失敗を反省して改善し、笑えるようにする」のが人間
他人の失敗どころか、自分の失敗で人間は笑うこともよくあります。
人の失敗集の動画がSNSで出回っているくらいで、コンテンツとしても成立します。
要するに、人間の失敗って面白いわけです。
自虐的に失敗を晒せる人って、ある意味では非常に魅力的です。
もちろん、配慮もなく失敗した人の目の前でゲラゲラとゲスな嘲笑をするのは良くないでしょう。(マナーとしては、本人が見えないところで笑いましょう)
むしろ、失敗したことで笑われたことに腹を立てて、「失敗を笑うやつは成功しない!!」とか正論を喧しく喚き散らす人ほど、「嫌な感じなやつだな」と思われるということです。
最近はカッコつけた自己啓発ばかり出回っていて、洗脳されている人が多いのですが、役に立たない割には「自己啓発ばかりで訓垂れていて、偉そうで嫌味なやつだな」と思われるだけです。
ネットの連中は人としてバランスが悪い
それにしても、「痛みと嘆きを悦とする…」という文言は、もちろん冗談というかネタとして言っているわけですが、マジレスを返すがごとく自己啓発なんかを引用して必死に突っかかってくるようなやつもよくSNSでは見かけます。
最近は冗談も通じないくらい国語ができない人ばかりで、ネットって本当につまんねえなと感じる次第です。
というのも、ネット民もネットの意見も、神経症、潔癖症、強迫症みたいな偏りが過ぎるんですよ。
これに毒されている人は、他人と一定ライン以上のコミュニケーションが永久にできませんよ。
論破しようと他人に向かってやたらに食ってかかったり、屁理屈を持論として披露して悦に浸ったり、なにかと人としてバランスが悪いというか、日常生活で金輪際見たくもねえ人がネットは本当に多いです。
たしかに理系出身の人は、冗談を理解できない人が多いですね。
日本でも「ディープステート」発言で有名になった政治家もいますが、あの手の人ってネタや冗談と事実を峻別できないので、陰謀論にハマってしまったりする人も割と多いです。