忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

名作の境界

名作かどうかの境界線

読者や視聴者自身が、この作品世界内に行きたいと思えるかどうかです。

私の偏見も含めて書きますが、

ジャンプ黄金期と呼ばれた連載には、ドラゴンボールドラゴンボール舞空術が使える、幽遊白書は霊能者で異世界バトルができる、スラムダンクは青春の溢れた部活がある…みたいに、その作品の世界内に、読者や視聴者が思い切り自分を投影できるワクワク感があった。

だからこそ、当時は650万部も突破していたわけです。

単に「景気が良いから」というだけで、あの売上を達成することは出来ません。

しかし、今の作品はどうでしょうか。

最近の作品の世界に、自分自身が行きたいとは、個人的にはあまり思えません。

私たちは、出来れば試験も何にもなく、朝までグウグウ寝れて、夜中に運動会が出来る世界に行きたいのであり、決して主人公の父親がどうたらとか、妖怪大戦争の世界に行きたいわけではありません。

言い方は悪いのですが、そうした「読者の感覚」を置き去りにした作品…というか、昔から一貫して私はそういう主義と主張をしています。

 

戦争をきれいに描きすぎている

昨今のウクライナ戦争なんかを見てれば分かると思いますが、戦争をすると、勝者も敗者も第三者も、物理的にも経済的にも文化的にも、あらゆる側面で悲惨な目に遭います。

特に、昨今の値上げブームや不景気は、この戦争による負の波及効果が大きいわけです。

ところが、戦後の日本人は特に「負けたから損をした」「勝っていれば得をしていた」という「戦争に夢を見る」謎の自意識が根強くあり(実際には、特攻を命じたのは上層部だし、戦争に負けたことにより、アメリカから支援を受けて謎に得をした国なのですが…)、この辺が作品にも強くでてしまっている傾向があります。

「戦争をしたら、みんな何もかもが無くなり悲惨な目に遭いました」「良いことはないですよ」が本来の描かれ方ですが、日本の場合、よくあるロボットものの戦争アニメも、やたらに「正義のため」とか「ネチネチした謀略と工作」とか「戦争を通じて人として成長」みたいな、謎に非現実的なエンタメ風味になります。

だからこそ、この手の作品群はグローバルに展開しづらいわけです。

仮にファンタジーの世界を描くなら、むしろ萌えアニメに突っ切るほうがわかりやすいからこそ、東アジア地域で流行るわけです。

 

中東戦争と石油の価格高騰の関係が私の卒論のテーマでしたが、戦争はマイナスばかりで、得をすることはありません。