リベラルに洗脳された学者や言論
リベラルの価値が落ちているのは、リベラルが独裁的に振る舞うようになったからですが、その態度こそが無力さの証明です。
かつてはクリエイター界にも物申していたような学者界隈や言論界の力が、まさに無力になってきています。
これはリベラルという価値観のメッキが剥がれたからです。
この価値観は、直近10年で無力なのが可視化されました。
これを暴いたのは主にネットによる功績ですが、リベラルの信者たちは無力ゆえに支持されないという当たり前の話をまるで理解できていません。
また、かつてはクリエイター界隈にも一部リベラル信者がいましたが、軒並み叩かれて惨めな目にあっています。
いまのクリエイターは、10年前とは真逆で、表現の自由を守るようになった自民党支持が圧倒的に増えていて、もはや右の価値観が主流です。
彼らはもはやロートルであり、世間にも疎まれるのは仕方ありません。
いまの学者界隈や言論界は無知の集まり
いまや学者界隈や言論界はまったくもって時代遅れで、時代の速度について来れず、古いカビの生えた話を延々と繰り返してドヤっては、ネットで炎上してサンドバッグにされているだけです。
「牛角問題とかどうでもいい」みたいな発言をしてしまう人たちばかりで、そりゃ言論の価値はゼロどころかマイナスになったということを、彼ら自身が自白しているわけです。
にも関わらず、相変わらず「庶民は正しさを嫌っているんだ」「俺達の思想こそが手本なんだ」みたいに心底思いこんでいる人たちなので、多くの人はそんな連中の言うことを聞いていたら、何もできなくなることが分かっています。
だから、ことさら嫌われるわけです。
オタクイズデッドではなく言論イズデッド
さて、真に有効な評論足り得たいのなら、たとえば現代のユーチューバーがなぜヒットしたのかを説明できねばなりません。
それなのに、言論界は相変わらずもっとも分析しやすい(素人でもできる)ヒット後の有名メジャーアニメや映画の評論程度でドヤっています。
しかし、こんなのは社会評論と言うのが関の山で、言論と呼べるシロモノではありません。
むしろ、挙げ句の果てには、アニメ評論したくらいでオタクイズデッドとかドヤりはじめる始末です。
が、彼らははっきり言って、世の中に自分がついていけてないのを、最近流行りのアニメや映画のせいにしているだけです。
ラーメン評論家が青春の頃に味わったラーメンの味に出会えなくなったから、「ラーメンは死んだ」とほざいているようなものです。
死んでいるのは評論している側のほうです。
評論も言論も、それだけ世の中を真面目に調査して分析するようなやる気がないわけであり、単に自分の怠惰を棚に上げているだけです。
摘んでケチつける人は消されていく
事実、世の中のコンテンツは指数級数的に膨れる一方、評論や言論は萎みまくっています。
そして、SNSの匿名素人の方がよほど鋭い意見や評論を出しているのが実際です。
もはや、プロの人たちの立つ瀬はないですね。
テレビ芸人が実はつまらないとバレた現象と同様で、評論や言論イズデッドというわけです。
もともとモノを作っているような人ではないくせに、偉そうに上からケチつけてドヤる人たちは、ポリコレコンサルタントと同じく必要なない虚業です。
ただ、評論家はレトリックだけは上手いために、「モノづくりに意味はない」とかうるさいから、無知な人々がつい騙されがちですが、くれぐれもこんなしょうもない連中の話を真に受けないようにしてください。