学校教育が素晴らしいと言える理由を説明します。
よく学校教育は「個性を潰している」「画一的」「生産性がない」…と呼ばれますが、
①印象論によるポジショントーク
②知性がイマイチな人が本気で叫んでいる
のいずれかです。
両方ともあまり優秀ではないので、くれぐれも真に受けないように。
さて、学校教育が素晴らしいシステムである理由を説明しましょう。
解説のために、分かりやすく3つの能力をABCと決めます。
Z君の初期ステータスは、Aが0、Bが1、Cが2とします。
さて、ここで2つの場合を考えてみます。
最初は私塾のような、目的にふさわしい教育を行う機関に通った場合です。
どんな塾でも、目的がある以上は特定の能力が伸びるはずです。
この塾はA能力を目的として、C能力も補助として伸ばしていると仮定しましょう。
すると、Aが5、Bが1、Cが3となり、合計能力は3から9に伸びたとします。
A能力については、0から5なので、凄まじい成長です。
A能力の才能がないと思われていましたが、才能が開花して一気に5に伸びたという感じでしょう。
つまり、おもにAの能力が欲しい人にとって、塾は合目的であり、理想的に効率的です。
しかし、ここからが本題になります。
Z君はB能力が全く伸びていません。
また、Cについても少し伸びたとは言え、不安が残る伸びではあるのかもしれない。
つまり、Z君はB能力に向いていないのですが、ここで最初にリセットして、学校教育が加わるとこうなります。
Aが1、Bが3、Cが4で、合計能力は8に伸びた。
つまり、Aについては1しか伸びていないので、これは学校の指導は悪いのかも知れませんが、Bが2伸びて、Cも2伸びた、という感じになります。
つまり、結果からすれば、実は「能力の均質化」ではなく、「均等に底上げが起きた」と見るべきでしょう。
BとC能力が2上がったというのは、もしかするとしょっぱい成果に見えるかも知れません。
しかし、社会に出て何の能力がどのように作用するかは、規定されていません。
もしかすると、人生の多様な場面でB能力がかなり必要とされるかもしれない。
そのときに、能力が5みたいな役に立つレベルではないにしても、少し出来るということで、他のこともできるようになるのです。
つまり、学校教育は素晴らしいシステムであると結論付けられます。
専門の教育をしている機関は、なにかと学校教育を敵視したり非難しがちですが、実は役割も効果も全く別モノなのです。
「のり」と「はさみ」くらい違うものだと思ったほうが賢明です。