価値観とは、「何に価値があるとするか」「価値を判断するときのものの見方」のことです。
たとえば、3人いてまんじゅうが10個あったときに、
①10個を独り占めしよう
②3個ずつ分けて、あまりの1つはじゃんけんで決めよう
③10このまんじゅうを3等分してみんなに配ろう
など、「問題が発生したときに、どのように対処するべきか」というのも価値観に含まれます。
この場合、どれがふさわしいかは3人で話し合って決めるべきでしょう。
一方で、論理とは、「1+1=2」という話です。
上の3つの方策は、どれについても問題が発生します。
たとえば、
①は「独り占めしても構わない理由」
②は「じゃんけんがふさわしい手段であるか」
③は「3等分したまんじゅうは小さくて不味くないか」などです。
これらを明確にするのが論理的思考です。
価値観と論理をごちゃごちゃに語る人が世の中には多いです。
上の例で言えば、
「①の価値観が好き」
「だから俺に全部まんじゅうをよこせ」という人が一定の割合で存在します。
これを論理的に考えると、
「なんでお前が独り占めするのか」
「2人が何ももらえないのは、いくらなんでも酷い」という話が出ます。
しかし、こういった論理的な話を聞いたときに、
「気分が悪くなることを言うな」とか
「アンチだから意見は無視」などと、
「自分の価値観だけが正しく、それが許されるべき」と考える人がいます。
こういう人たちは、「俺と価値観が合わない」みたいな屁理屈を、負け惜しみで言いはじめたりするというわけです。
ということで、価値観と論理をごちゃごちゃにしないようにしましょう。
もう少し例を書いておきます。
たとえば、
「高齢者は集団自決すべき」は社会保障のコストを削減ができるので確かに一つの価値観ですが、
「高齢者は皆死ねと言うのか」
「ナチスを想起させる発言をするな」
「人権を無視する発言は道義上許されるべきではない。憲法違反」などは論理の話になります。
もう一つ例えとして、
「回転寿司のイタズラを防ぐために、レバーをつけるべき」という意見をする人がいたとします。
これは、店に工作をして装いも変えられるという意味で、一つの価値観でもあります。
しかし、レバー導入にはかなりコストがかかってしまいます。
「そんなことをせずとも、食品サンプルを回せば良いよね」という話は論理です。
たしかに、食品サンプルは低コストでイタズラも防止できますから、非常に筋が通っています。
しかし、このような筋の良い意見に対して、頭の悪い人は
「論点ずらしで時間の無駄」(何が論点ずらしなのか意味不明)
「回転寿司の話をしている」
「俺サマに反論するのか!」と、なぜか怒ってしまうみたいです。
そもそも、自分で最初に「イタズラを防ぐため」が目的と言っているくせに、頭が悪すぎるせいで矛盾にすら気付いていませんよね。
「論理の話を無視して、価値観だけを声高に叫ぶのはどう考えても幼稚だよね」という話でした。
「多様性=俺の価値観は何でも許されるべき」と考える頭の悪い人や、頭のおかしな人のマネをしないようにしましょう。
「問題点を指摘すること」を「論破する」と捉える「頭のおかしな人」もいてびっくりです。
近寄らないほうが良いですよ。
ちなみに、「論理」が理解できない人は、だいたい「宗教」に走って、最後は「陰謀論」に堕ちます。