フィクションに影響を受けた人の間違った思考。
「女性が銃を持てば、自衛になるから銃を合法化すべきだ」という意見がSNS上で盛んです。
しかし、これはフィクションと言わざるを得ません。
というのも、自衛として携行できる銃の大きさや、扱える銃の種類には限りがあります。
力の劣る女性では、その選択肢にも限りが生まれます。
おそらく、上記のような意見が一定層に支持される理由として、映画やアニメなどで錯覚を起こしている人が増えているからだと思われます。
しかし、当然映画やアニメは作り話です。
美少女・美人が銃をバンバンぶっ放して、敵を次々になぎ倒す爽快なアクションシーンというのは、枚挙にいとまがないくらいメジャーな表現です。
これは、観客を楽しませるために、そういうシーンを作るのです。
正しい現実的な思考。
現実には、銃を撃つにも必要十分な射撃訓練がなければ、命中させることが出来ません。
ましてや、危機的状況で相手に命中させるのは至難の業です。
ミスすれば、暴発して自分や大切な人を傷つけることにもなりかねません。
当然ながら、殺傷力が高い銃を携え使用するには、かなりの身体の力が必要です。
9ミリ拳銃などでは、威嚇がせいぜい関の山です。
フィクションと現実の差は「事実」かどうか。
このように、現実とフィクションの違いは、「事実はどうなのか」という点が決定的に違います。
美少女や美人は、銃をバンバンぶっ放すことができないからこそ、銃社会であるアメリカでは、日本よりレ●プが多発しているのが現実です。
逆にフィクションでは、美少女や美人が銃をバンバンぶっ放すことが出来るなら…、という仮定で、作品である虚構世界を創るのです。
つまり、この2つの差は、事実なのか、そうでないのかの違いしかありません。
逆に言えば、事実を知っていれば、ここから事実をズラすことで面白い作品はいくらでも量産可能なのです。
「常識人こそが最も面白い人である」というのは、ウソではないのです。
「面白い作品を創るにはウソを1つだけ作れ」という話もあるくらいです。
設定されたウソによって、普通想定されうるであろう現実がどんどん書き換わっていく様子を観るのが、視聴者にとってもっとも面白い瞬間です。