忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

高級な社会

社会というのは、いつの間にか高級になっているものです。

歴史の流れで少しずつ低俗なものが排除されていき、いつの間にか高級な社会に私たちは生きているものです。

昔は黒塗り教科書の時代でしたが、今はどんな情報でも知るのはほぼ一瞬で出来ます。

絵や音楽は以前よりも情報的にも技術的にも進化していますから、より高級になっています。

視聴側の査定レベルも数十年前と比べると比較になりません。

総合格闘技なんかも、昔の異種格闘技戦時代の動画を見ると、多くの選手にタックルを切る動作がなかったりします。

今は総合格闘技でタックルに対処出来ない選手はゼロです。

日々、練習の内容が進化している証拠です。

これもだんだんと高級になっているということです。

私たちは、日々高級に進化する社会に生きています。

要するに、高級なものしか残らないということなのです。

絵や音楽、格闘技…などはすべて、現在残っていますから、これらはとても高級なものです。

現代に残るものは、かつての貴族でさえ、まったく手に入らなかったものなのです。

バウハウスのデザインなんかは、当時は貴族だけが持っていたデザインを、社会一般に広く普及させたことで有名ですよね。

そして、その技術や知識でさえも、「プロレベルなんか分からないだろう」とタカを括っていれば、いつの間にか高級なものでも当たり前のスタンダードとなってしまっていることが社会では普通です。

気が付けば、高級さに文句を垂れる人たちの居場所はどこにもなくなっています。

昔はマニアックなものだったとしても、いつの間にか無いとおかしいものとなっているものです。